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ティーツゥーのコラム
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なかなか深いお坊さんのお説教

2015.10.26

[今日のむだぐち]

 

まず、私の家はお寺です。
10月12日(月・祝)はお寺で報恩講がありました。
朝からお手伝いしてくれる檀家さんが大勢来てワイワイと準備していました。
うん。なんか昔から見て来た光景。うん。昔ながらでいいですね。 

そこでお布施の受付もするんですが、おばあちゃんが生きてた頃はお布施の金額や氏名等、一枚一枚半紙に筆で書いていたなーっと。
でも今って、お寺なのにパソコン使って、情報を打ち込むシステムなんかあって、入力すれば簡単に貼り出し用の紙完成!
お寺にも時代ってあるんだな。ハイテクテンポーじゃん。

なんて思いながら、昼のお参りが終了。
檀家の70歳すぎたおっちゃんに「ワシが来ているスーツは20年前に買ったカシミヤやー」ってまずどこから攻めたら良いのか分からない会話につき合いつつ、次のお参りは夜7時からでーす。

はい。ここからが本題なんで、ちょっとスキップ。
夜のお参りが終了して、お坊さんのお説教タイーム!
昼のお説教とはやっぱお参りに来る人数も違い、え?参加数3名ですか。そうですか。
みんな昼聞いたしいいやーって事でしょうか。
信仰心より時間短縮、スマート化が進んでいるのですね。これも時代です。
でもやっぱりお説教してくれる坊主さんに悪いじゃないですか。
やっぱ大勢に聞いてもらって「うんうん」が欲しいじゃないですか。坊主じゃなくても。
なので家族全員かり出され、いいお話を聞く事に。

初めて聞いたー、お説教。
前に大げさなくらいの「うんうん」と「親鸞すてきー」的な人がいたので
70%くらいの集中しかできませんでしたが、けっこう良い話ししてました。
前半飛ばしすぎたんで簡潔に書くと、仏さんの教えを説いていた訳です。

 

一、諸行無常(しょぎょうむじょう)

物事は常に移り変わって行くものだから、物事に固執しすぎちゃうと
自分の心で辛くなっちゃうよー的な。
簡単に言うと、あの時こうしていればとか、あの人が生きていればとか。
あの時こうしてても時間は過ぎて行く事には変わらないし、人間生まれてきたらいつか死ぬんです。
留まることがない物事に、心を留めていても仕方ないっしょー。みたいな。

 

一、諸法無我(しょほうむが)

両親とか、自分の子どもとか、友達とか。もしかして自分のものって思ってない?
自分以外の人は自分ではないのに、自分の思ったように行動してくれなくて怒ったり。
自分の身体さえも、いまは自由に動くから自分のものと勘違いしてるんだけど
病気や怪我をしたら自由がきかないのは、自分のものではないから。
みんなにある自分一人のものは「心」だけなんですってー。
誰一人として自分ではないのだから、考えが違っても受け入れる心を持つ。
そこらへんをもう一回考えてみると、心穏やかになれまっせー的な。

 

お坊さんは言いました。
「人の悩みの大半は上記2つの事でできています。なにかの物事が起こったからツライや悲しいがある訳ではなく、自分の心がそうさせてるんです」 

そういえば、そうかも。なかなか深いやん。
サクラちっくに聞いたお説教ですが、たまにはいいもんですね。
機会があれば、みなさんも是非。
※ちなみに、上記の教えの解釈は私個人が受け取った見解なので、
うそくせーと思われた方は、本物のお坊さんのお説教を聞いてみてください。

 

 

スタッフが日々感じたことを書いています。

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